弊社・加藤組は、令和7年に創業128周年を迎えました。
その始まりは、明治30年(1897年)、近代化が進む日本の玄関口・横浜において、港湾や河川の整備が求められていた時代。創業者・加藤猶吉が、故郷・房州から運んだ砂岩を用いて、運河や河川の護岸工事を手がけたのが当社の原点です。
明治32年には土木建築請負業の免許を取得し、中区吉浜町(現在のJR石川町駅付近)に事務所を構えました。
大正から昭和にかけては、関東大震災や戦時下の混乱、戦後の復興といった激動の時代を迎えましたが、2代目・加藤藤治による技術革新を礎に、隧道工事や下水道整備、都市基盤の構築など、地域に根差した事業を積み重ねてまいりました。

近年では、地域のインフラ保全や災害復旧工事、再開発に関わる土木工事を通じて、次世代に向けたまちづくりにも貢献しております。
創業から128年、幾多の困難を乗り越えながら事業を継続できたのは、時代の変化を柔軟に受け入れ、技術力を磨き続けてきた先人たちの努力と、何よりも地域の皆さまからの温かいご支援の賜物と深く感謝しております。
今後も加藤組は、社会に必要とされる企業として、一歩一歩着実に歩みを進めてまいります。

第一章
創業
(明治・大正時代)- 明治30年
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房総から砂岩を船で運ぶ仕事をしていた加藤猶吉が横浜に「加藤組」の看板を掲げる
加藤組が横浜の地で創業したのは、明治30年(1897年)のこと。当時の日本は近代化の真っただ中にあり、特に横浜では港湾整備やインフラ整備が急速に進められていました。加藤組は、こうした時代の流れをいち早く読み取り、地域の発展に貢献すべく、土木建設業としての歩みを始めました。
- 明治32年
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横浜市より土木建築請負業及び建築材料販売の認可を受け、中区吉浜町に事務所を構える
明治32年には創業者・加藤猶吉が横浜市より土木建築請負業の免許を取得。房州産の砂岩を船で運び、運河や河川の護岸工事に従事したのが加藤組の原点です。当時需要が高まっていた埋立造成にも携わり、地の利を活かした資材調達と確かな施工力で、多くの信頼を獲得してまいりました。
- 大正初期
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山手の外国人居留地内の宅地造成を手がける
大正期に入ると、宅地造成や橋梁、下水道、鉄道工事などへと事業領域を拡大。なかでも、隧道(トンネル)工事への挑戦は大きな転機となり、2代目・加藤藤治のもとで、より高度な技術力を備えた施工体制を築いていきました。
こうして加藤組は、横浜の都市基盤を支える企業として、地域とともに成長を重ねてまいりました。
- 大正6年
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横浜・南吉田橋の新設工事
- 大正14年
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猶吉の三男・加藤藤治が土木建築請負業認可を受け、加藤組支店として独立
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加藤猶吉
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加藤藤治
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第二章
前進
(昭和初期から終戦)- 昭和初期
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国道第31号線横浜・横須賀間の道路改修
加藤組の昭和時代は、関東大震災後の横浜復興から本格的に始まりました。大正12年の震災によって壊滅的な被害を受けた横浜では、道路や橋、水道など都市インフラの早急な再建が求められており、加藤組はその最前線で復興事業に携わることになります。
土木技術に長けた創業者の三男・加藤藤治が主導し、隧道工事や大規模な下水道整備、道路・鉄道建設など、数多くの公共工事を手がけました。加えて、神奈川病院や小学校、警察署、裁判所などの建築工事にも取り組み、土木・建築の両面で横浜の発展を支えていきました。
- 昭和2年
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同吉浦、 田浦、 長浦の隧道工事
関東大震災の復興大型工事
湘南電鉄(現在の京浜急行)敷設工事
- 昭和4年
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創業者・加藤猶吉死去。
加藤嘉一(次男)が後を引き継ぎ、加藤組本店を経営
- 昭和19年
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企業整備令により、加藤組本店と支店が企業合同し、 株式会社横浜加藤組を設立。
加藤藤治が社長に就任昭和10年代に入ると、戦時体制の強化により軍関係施設の建設や軍需向けの埋立・造成工事が中心となり、加藤組もその流れに組み込まれていきます。
さらに昭和19年には、資材や人員の不足が深刻化する中、本店と支店を統合し「横浜加藤組」として再編。しかし、空襲による甚大な被害や戦局の悪化により、思うような事業展開ができないまま終戦を迎えることとなりました。
それでもこの時代に築いた数々の実績は、戦後の復興と都市開発の礎となり、加藤組の技術と信頼を今に伝える重要な基盤となっています。
第三章
新たなる出発
(戦後から昭和56年)加藤組の戦後は、関東大震災と同様に横浜の復興とともに始まりましたが、戦災の被害は震災以上に深刻で、復興は困難を極めました。市街地の4割以上が焼失し、多くの公共施設も接収される中、加藤組は一時的に駐留軍関係の工事を請け負いながら再建の準備を進めていきました。
- 昭和22年
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関東配電 (現在の東京電力)の箱根三枚橋の発電所建設
- 昭和23年
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東京支店を開設
- 昭和25年
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施工高1億円を突破
- 昭和26年
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商号を「株式会社加藤組」と変更。
電気部を独立させ加藤電気工業株式会社とする昭和24年の京浜急行六郷川鉄橋工事をきっかけに本格復帰を果たし、昭和26年には社名を「株式会社加藤組」に改称。さらに電気部門を分離独立させ、戦後体制を確立します。朝鮮戦争による景気回復も追い風となり、道路や下水道、港湾などの公共事業を次々に受注。戦前からの信頼と技術力を背景に、事業は大きく拡大していきました。
- 昭和28年
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横浜市慰霊塔を三ツ沢公園内に建設
- 昭和33年
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資本金を1,000万円に増資。
翌年施工高 4億円
- 昭和38年
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磯子総合基地 (倉庫、資材置場など) 建設
- 昭和43年
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資本金1億円に。
東京支店の加藤八重洲ビル竣工
- 昭和48年
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「平野邸」 建設が神奈川県建築コンクール佳作を受賞
- 昭和51年
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2億1,000万円に増資
高度成長期に入るといち早く機械化を導入し、山下・本牧埠頭の埋立、幹線下水道や公共住宅建設など多くの大型プロジェクトを手がけ、実績と信頼をさらに高めます。施工高も順調に伸び、昭和25年の1億円台から昭和56年には50億円を超えるまでに成長しました。
また、地元横浜への貢献も重視し、関内駅前ビルの共同事業や業界団体への参加など、地域社会との連携にも力を注ぎました。
こうして加藤組は、戦後の混乱を乗り越え、横浜とともに確かな歩みを重ねていったのです。
第四章
飛躍
(昭和後期から現在)- 昭和57年
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施工高50億円突破
昭和57年、加藤組は新たな転機を迎えました。
新体制がスタートしたその時期に、横浜市が全国に先駆けて「みなとみらい21」という次世代都市構想を打ち出し、加藤組にとって大きなチャンスの訪れとなりました。
- 昭和58年
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県央、 横須賀営業所を開設
誠実で緻密な組織運営が進められ、社員一人ひとりが「価値ある建築創造企業への飛躍」を誓い合い、新たな加藤組としての第一歩を踏み出しました。
その意欲は翌年、昭和58年に手がけた「横浜市立本町小学校改築工事」でさっそく形となって現れます。当時としては画期的だった“オープン教室”の設計・施工は高く評価され、加藤組の新たな方向性を印象づけました。以降、加藤組は横浜市の未来都市構想と歩調を合わせながら、特色ある学校建設や新都市交通システムの整備、横浜博覧会のパビリオン建設、自然公園や街づくり事業など、多様なプロジェクトに携わるようになります。地域に潤いと遊び心をもたらす施工は、多くの民間ニーズにも応える柔軟さを備えていました。
- 昭和60年
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横浜市金沢自然公園の造成と動物舎新築工事
同市栄区庁舎と泉区庁舎を建設
- 昭和61年
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R関内駅周辺地域の舗装工事が第1回まちなみ景観賞を受賞
市立小坂小学校改築工事で鎌倉市長表彰その取り組みは多くの賞という形で評価されました。昭和61年の関内駅周辺舗装工事では「第1回まちなみ景観賞」、昭和63年には県立深沢高校の新築工事で「神奈川県知事表彰」、さらに平成元年の小坂小学校校庭整備工事で「鎌倉市長表彰」、平成2年には横浜子ども自然公園および釜利谷中学校増築工事で「横浜市長表彰」を受賞。そのほか毎年のように横浜市の優良工事請負業者にも選定されています。
しかし、加藤組はそうした評価に満足することなく、未来を見据えた挑戦を続けています。独自の5カ年計画を策定するとともに、業界50社との共同出資によって「中央技術研究所」を設立。I.C.Pブリース工法、真空式仮設下水システム、高流度コンクリートなど、次世代の建築技術開発にも積極的に取り組んでいます。
- 昭和62年
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県央営業所の新社屋完成。中央研究所を開設
- 昭和63年
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横浜博覧会パビリオン「国際交流館」を施工
みなとみらい21 メイン道路を施工
県立深沢高校新築工事で神奈川県知事表彰
- 平成元年
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金沢海の公園と子ども自然公園を施工
- 平成2年
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磯子アベニュー整備工事で第5回町並み景観賞を受賞
子ども自然公園と釜利谷中学校建設工事で第7回横浜市長表彰
- 平成6年
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平成6年度、 横浜市長表彰 (土木部門・建築部門)
- 平成7年
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相模原営業所を開設
平成7年度、 横浜市長表彰 (土木部門・建築部門・設備部門)
- 平成8年
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平成8年度、 横浜市長表彰(土木部門・建築部門)
建設省関東地方建設局長表彰 (横浜営繕港湾技研台風防災実験棟特修工事)
神奈川県住宅供給公社「高品質企業開発提案」で優勝
- 平成9年
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創業100周年の記念式典(パシフィコ横浜)
- 平成11年
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ISO9001:1994認証取得
- 平成14年
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ISO9001:2000認証取得
- 平成25年
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本社営業所横浜市西区へ移転
- 平成29年
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四国支店開設
こうした日々の努力の積み重ねのもと、加藤組は平成9年に創業100周年を迎えました。開国以来の横浜の歩みとともに、震災・戦災といった数々の困難を乗り越え、常に「誠心誠意」の姿勢で街づくりに貢献してきたことを、私たちの誇りとしています。
これからも、地域に愛され、喜ばれる企業であり続けるために、挑戦と進化を止めることなく歩みを続けてまいります。