横浜の歴史を語るとき、そこにはいつも加藤組がいる・・・。 |
■令和年加藤組は歳を迎えます。 |
横浜の開港が、今から年前。そして横浜が市制を敷いたのが年前です。
その頃と時を同じくして生まれた、横浜建設業の老舗、それが加藤組です。
創設者加藤猶吉が、生まれ故郷房州(現在の千葉)の砂岩を船で運び、横浜の運河の護岸
工事を手がけたのが、加藤組の始まりです。当時は馬車で資材を運び、横須賀や箱根にまで、
業務を拡大。昭和初期の関東大震災復興大型工事と合わせて、まさに横浜の基盤を築き上げ
たのです。この間、吉浦・田浦・長浦の名随道(現存)、葉山行幸道路随道、山手本町警察署、
横須賀裁判所、旧陸軍横浜聊隊区指令部などを逐次手がけ、「横浜の発展に加藤組あり」の
ゆるぎない地位を得るに至りました。
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■時代を読んだ業務展開 |
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昭和19年4月、企業整備令により企業合同を果たした加藤組は、それまでの建築資材(石材)
中心の業務内容から、土木建設主体の企業へと変貌。土木中心であった支店を率いる加藤藤治
が社長に就任しました。その時代を読んだ事業方針が見事に的中し、加藤組は戦後の荒廃した
横浜を精力的に復興。今も残る数々の名建築を手がけ、飛躍的に発展したのです。市中心部の
米軍関係工事をほとんど受注するなど、企業力の礎を築いた時代でした。
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■高度経済成長の波に乗った30年代 |
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昭和35年から40年代にかけての加藤組の活躍ぶりは、まさに筆舌に尽くしがたいほどのもの。
東京都外濠埋立、山下埠頭埋立工事、県住宅公共共同住宅新築工事など、官公庁関連工事
および民間大型工事を数多く手がけ、地元をはじめとする幅広い顧客からの圧倒的な信頼を得る
に至ったのです。
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■先進的な建築にチャレンジ |
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昭和54年には、施工高40億円。そして57年には50億円と破竹の勢いで実績を伸ばし続ける加藤組。
着実な施工をモットーとする中にも、時代を先取りした漸新な工事に積極的に挑戦しています。
昭和58年に施行した横浜市本町小学校改築工事では、当時としては画期的な”オープン教室”を
建築し、話題を撒きました。さらに教会や図書館、近年にあっては横浜博のパビリオン建設や新都市
交通システム、海の公園など、横浜の発展に寄与する新しい時代の建設で、業界をリードしています。 |
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■数々の賞となって輝く実績 |
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長年の活躍と質の高い業務内容が評価されて選定とされる。「横浜市優良工事請負業者」に
昭和58年、59年、63年と選ばれまた、年間の総工事に対して全てが平均以上の優良な内容で
あった時に初めて与えられる「横浜市長表彰」を昭和54年以来22度受賞しています。県知事表彰3回、
鎌倉市長表彰や、まちなみ景観賞2回など、様々な賞に輝いています。
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■創業100周年を経て・・・・ |
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100周年を経て、未来へのさらなる飛躍へ向けて、加藤組は限りのない可能性への挑戦を続けます。 |
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